02(ゼロツー)》。

そう呼ばれるウォリアーがいた。

名前など存在しようがしまいが、関係はあるまい。

テクノシティにおいて名前など、個体数を管理する為に刻まれた製造の刻印に過ぎないのだから。

それよりは特徴を捉え、個人を的確に言い当てるニックネームの方が良かった。

自分が生命である事を再び認識し、束の間の感情の喜びを感じる事が出来たのだから。

例えそれが自分を馬鹿にするような内容であったとしても、異論はなかった。

ゼロツー(けっして一番にはなれない者)。

その呼び名は彼を定義付け、彼が彼として存在するに充分な材料だった。


彼が他のテクノピープルと大きく違う点がいくつかあった。

まず、ハイ・ロードウォリアーであるにも関わらずスピードにまるで興味がなかった(とは言え、生身の人間にはイメージすら叶わないスピードで走るのだが)。

他のウォリアーがいくら勝負を挑んで来ても、応じる事は無かった。

早く走る事こそウォリアーの存在意義。

スピードによる戦闘意識こそウォリアーの至高の魂。

得体の知れない意識体に、理由もなく走るようにプログラムされたウォリアーにとって、彼のように自ら戦闘意識を放棄するものの存在価値は無いに等しかった。

また彼以外にはあり得なかっただろう。

ウォリアー以外の一般のテクノピープルまでもが彼の事を、

『恐れをなした狼』

『牙なき魔人』

といって馬鹿にした。

こういった一切の罵りを、彼は別段気にした事も無かった。

《遅い》と言う事は、彼にとって最も愛すべき行為だった。


もう一つ彼の特異点をあげるとすれば、それは彼が夢を見た事がある事だった。

否、一度や二度ではなく、おそらく毎晩のように彼は夢を見た。

《果てしない思い出》《果てしない記憶》を持つテクノピープルにとって、《夢を見る》という現象自体が珍しかった訳ではない。

テクノピープルは膨大な記憶データの海から、好きな時に好きな記憶を引き出し、個体の電子頭脳に《夢》として再現する事が出来たのだから。

あるいは記憶の断片を繋ぎ合わせ、新しい夢を作り出す事も可能だった。

そういった意味では、この記憶の海と言うのは無限だったのかもしれなかった。

彼が見るのは、これらの自在な夢ではなかった。

かつて《夢》が、《夢》たりえた時代、夢は個人が『作り出す』ものではなかった。

その時間は与えられ、強制されるものだった。

であればこそ、それらは神秘の輝きを放ち、時には未来を授かる時間でもあったのだ。

夢を見る時間、彼は自由ではなかった。


=大きく弧を描き、下降する夢。=

大地に叩き付けられ、バラバラになる。

痛みは無いが、やがて蝋燭の炎が消えるように、魂を失うのだ。

他の者に言わせると、『それは無い。』という。

マシンである彼らにとって、死とはジャンクとなり、新たなマシンの一部として再生する事だと言う。

『魂は失う事は無い。ただ、二度と自分の思い通りにならない体を手に入れるだけの事さ。』

彼はそれを畏れていた。

しかし、ゼロツーは夢の中で魂を失う。

その先にあるものは永遠の『無』。

あるいは。。。

考えるだけ無駄な事だ。

だが、結末を知るものにとって、この夢が彼の未来の永遠の終焉を暗示するものではない事は、容易に推測出来た。

彼はその夢に悩まされ続けていた。

いまいましい夢に打ち勝つ方法はひとつだけあった。



『メジャー・キーをくれ。』

彼はそう言った。

『よせばいいのに。』

哀れみにも似たつぶやきを漏らしながら、ディーラーがアンプルと注射器をゼロツーに渡した。


彼らテクノピープルに効く麻薬は2種類あった。

一つはデータによる麻薬で兵器として開発されたものがジャンク屋を中心とする闇ルートから出回ったもの(元々はコンピューターウィルスだった)。

電子頭脳に作用し、一時的にその機能を部分的かつ断続的に停止させる事により、いわゆる《ハイ》と呼ばれる状態を作り出す。

一般的には《ハイ・ファイル》と呼ばれた。

これに関しては、危険は少なからず伴うも、対処することが出来た。

テクノシティにすむ者の約半数がハイ・ファイルの常用者だったこともあり、万が一悪いデータが体内に残ってしまった時のためのクリーンナップ・ファイルが出回っていたし、体内の回路自体をハイ・ファイル用にチューンナップする技術も一般的に浸透していた。


もう一つはいわゆる薬品である。

テクノピープルの唯一の生体組織である眼球に直接注射する事で、生体組織から送られた微弱な電気信号が神経回路に作用、覚醒状態をもたらすものだった。

この方法は彼らの寿命(その定義も今となってはあやふやなものではあるが)を著しく縮める方法だった。

一度手を出せば、永遠に続く禁断症状に悩まされる事になる。

禁断症状は地獄の苦しみだった。

排泄、という言葉すら知らない彼らは、自分の体内に全ての苦しみを閉じ込めるしかない。

彼らの種が始まってからの、全ての苦しみ、悲しみ、恐れはシティのマザーコンピュータに蓄積されている。

そういったありとあらゆる《怨念》が入れ替わり立ち代わり個体に襲ってくる。

それが禁断症状。

これは並大抵の者には到底耐えられるものではない。

発狂するか、新たにメジャー・キーを投入する意外にそれを止める術はなかった。

彼らは禁断症状を《マイナーな気分》と例え、麻薬の入ったアンプルを《メジャー・キー(気分を良くする鍵)》と呼んだ。


服用者を見分ける方法は容易だった。

薬の影響でゼロツーは眼球が小刻みに震えるのを抑えられずにいた。

彼は制御の効かなくなった眼球とは裏腹の精密さで針を刺した。

注射器の中の液体は全てゼロツーの眼球に注入された。

眼球の破裂しそうな感覚にしばらくは耐えなければならない。

それは彼らテクノピープルが残した最後の《痛み》だった。

想像を絶する痛みは、時に彼らを狂わせる。

《メジャー状態》になりきれないまま機能が停止状態に陥る者も少なくはない。

機能停止は、即ちジャンクを意味している。

メジャー・キー注入直後の状態は、たとえゼロツーのようなヘビーユーザーでもけっして慣れる事は無かった。

ゼロツーはその頭を壁に打ちつけて苦しみもがいた。

あたりに響く、鈍い金属音。

その衝撃にかろうじて耐える電子頭脳。

彼が肉体を持っていたならば、何かしらの赤いものが流れていたに違いない。

断末魔のような光景。

やがて彼は顔を上げるのだ。

その瞳はもう震えてはいない。

恐れを知らないウォリアーの目になっていた。

瞳に絡み付いた枯れた毛細血管は再び液体で脈動し、自分が最早マザーコンピューターのネットワークの一員では無い事を、青白く象徴していた。


ゼロツーはGPに股がった。

彼のふくらはぎから伸びたスピアがGPエアライナーの側部ににあるポッドに突き刺ささると、GPが吠えた。

ゼロツーはGPを、愛する者にそうするかのように愛撫した。

そして、彼の電子頭脳はGPと一体になった。

『走れ』

そう思念すればGPは走る。

一体のウォリアーがゼロツーに仕掛けて来たが、彼は相手にしなかった。

そのウォリアーはゼロツーに戦闘意識が無いと察知すると、別の獲物を求めて去った。


ゼロツーがその瞳に見ていたのは空だった。

一面が濃度の高い大気で覆われたそれは、世辞にも美しいとは言えなかっただろう。

しかし広大なその雲のスクリーンは、唯一ゼロツーを解放へ導く存在だったのかもしれない。

黄色い狼は、爆音とともに急上昇した。

空へ。

吸い込まれるようだった。

大きな弧を描きながら急上昇するのだった。